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2026年5月
2026年4月

過去ログ

6月1日(月)

撮影。楽しかったが、自分が目標としていたことの20%くらいしか出来てなくて落ち込む。

ホウ・シャオシェン『冬冬の夏休み』(1984)と大林宣彦House』(1977)を見る。大林宣彦が大好きな友達から「見てみて!」と言われたのでみて見ることに。こうやって人から教えてもらえるのはありがたい。

House』を見ながら撮った映像をどう編集するかを考えていると、何となくこうやれば上手くいくのではというのが思い浮かび少し元気が出る。

6月2日(火)

谷川俊太郎のエッセイだったり詩集だったりを読み進める。賢く、言葉に対して誠実に向き合っていてすごい。

スクリューボール・コメディ映画をたくさん見る時期(課題)に入ったので、まずはフランク・キャプラ『或る夜の出来事』(1934)を見る。照明が綺麗。そして最後に登場人物の1人がある選択をするのだが、もしかしたら全く違う選択でも面白かったのかもとか。

6月3日(水)

台風。色々と休みになった。
ので、まずはハワードホークス『紳士は金髪がお好き』(1953)を見る。ハワードホークスは透明感のある、技術が見えない演出が特徴と先生が仰っていたがそう言われると確かにそんな気がしてくる。続けてデヴィッド・リンチ『ワイルドアットハート』(1990)を。初めてデヴィッド・リンチを見た。このような作品を作るのに、どれくらい監督は勇気を振り絞ったのだろうと思う。ゴダールの『勝手にしやがれ』(1960)を。2回目に見ると一層面白い。モノクロの映像の綺麗さ。最後にデヴィットリンチ『イレイザーヘッド』(1977)を見る。『サブスタンス』に通じるようなボディホラーであった。痛そうなのが苦手なので顔を顰めながら見ていたが、怖いもの見たさと映像の面白さの方が圧倒的に勝っていた。

6月4日(木)

マックス・オフュルス『忘れじの面影』(1948)を見る。デイヴィッド・リンチの他の作品も見てみたいと思い、ドラマ『ツインピークス』を1話から3話まで見る。話が進んでいくにつれて面白くなってきた。以降夜学。

6月5日(金)

授業に出て、課題をやり、ウィリアム・ワイラー『ローマの休日』(1954)を見る。

6月6日(土)

物語性が苦手なのでシナリオ課題に全く手が出せない。分からない。月曜日締め切りなので朝起きてから夕方までウンウン悩み、とりあえず少しは書き進めた。
シネマリスに濱口竜介『親密さ』(2012)をやっと見にいく。ずっと見たかったが上映がなかったので今回の特集はとってもありがたい。シネマリスも初めて行った。良い映画館だった。最良の映画を見た直後は、言葉が奥に引っ込んでしまうので文章なんて書けない。ので、以下は『親密さ』を見た次の日に書いた短い感想。いずれちゃんと書きたい。

『親密さ』

親しいという気持ちは誰かとの関係性によって成り立つ言葉だ。一方通行の親しみや自分に向かっての親しみもあるだろうけれど、自分の身体を自分は全く知らないように、他者に向いている方向と同じベクトルを持っている。そして、親愛では無く、親密。親密という言葉の「密」はまるでその関係性の間にビッシリと粒子が存在しているようでもある。この映画における親密さはどこへ向いていたのだろう。
映画内演劇のシーンにおいて、それを見る観客の表情のショットが時折差し込まれた。演劇空間では、観客は舞台上のいかなる動きや音を聞き逃さないように、見逃さないように全身を澄ませる。そのため、観客たちは様々なところに目線を移動させ、真剣な表情をして見つめる。その態度を見る映画の観客も、映画に全身を澄ませて向かい合う。起こっている出来事に全身を澄ませること。それこそが、見るもの(映画内演劇の観客と映画の観客)と見られるもの(演じ手)の間に親密さを生むのではないだろうか。
演じ手は言葉に対して誠実に向かい合っていた。それはそのまま、作り手の誠実さにも結びつく。その世界に、親密さを感じながら見る時間はとても幸せだった。と同時に、自分自身が観客であって映画内に決して干渉する事ができないからこそ、親密さの粒子が存在できるのかとも思う。

6月7日(日)

シナリオ課題を少し書き進め、ハワード・ホークス『赤ちゃん教育』(1938)を見る。雨なので家から出たくないと思っていたが前日にシモキタエキマエシネマでの濱口竜介『何食わぬ顔(long version)』(2002)のチケットを取ってしまったので家を出る。その前の時間に同映画館で上映されている濱口竜介『不気味なものの肌に触れる』(2013)ももう一回見たかったが、そこまでのお金は無いので諦め。しかし今回を逃したらもう見る機会は無さそうなので、頑張って行ってよかった。その後の濱口竜介作品との共通点の多さに驚かされる。

6月8日(月)

課題→授業→課題。
フランク・キャプラ『オペラハット』(1936)を見る。ゲイリー・クーパーとジーン・アーサーが主演。ちょっと驚いてしまうくらい良かった。

6月9日(火)

エルンスト・ルビッチの『極楽特急』(1932)を見る。授業に出たあと、TOHOシネマズシャンテで『旅立ちのラストダンス』(2024)を見る。友達からシャンテで今やってるから見てと言われたので。香港伝統の葬祭儀式「破地獄」という文化を知る。『プラダを着た悪魔2』をtohoシネマズ日比谷のプレミアムシアター(値段が普通のシアターと一緒だったから)で見る。シアター内に入ると、スクリーンが想像以上に大きいことに驚いた。

6月10日(水)

ハワード・ホークス『教授と美女』(1941)を見る。“yum-yum”

11日(木)

ギャング映画をということで、授業で『ニュージャックシティ』(1991)を見る。課題をして夜学バーへ。

12日(金)

授業に出て、課題。レポートを始める。

13日(土)

喉の風邪っぽくなってしまい、何となく重い体で図書館に行き(レポートの文献探し)、課題を少し進める。図書館から帰って課題を進めていると、段々体調が悪くなってきたので倒れ込んでたくさん寝た。

14日(日)

1年ぶりに悪夢を見る。自分自身がレポートになり(例えば頭が序章で爪先は結論、お腹の付近は第3章みたいなイメージ)、一貫性が無い!といって恐怖に襲われるという内容。前回は夜学バーでカクテルが作れずに場が恐ろしい空気になるという悪夢だった。

たくさん寝たら元気になったので、シネマリスへ行き濱口竜介の東北三部作『なみのおと』(2011)、『なみのこえ 気仙沼編、新地町編』(2013)、『うたうひと』(2013)を見に行く。何と、9時20分から19時ごろまで順番に上映されているので一気に見ることが出来た。なんて素晴らしい映画館!届かなかった言葉、話されなかった言葉をカメラは引き出し、捉えていく。その様子を真摯に収めたドキュメンタリーだった。そして、あるシーンにおいて『親密さ』(2012)で出ていたような親密さ(のようなもの)が立ち上がっている場面があった。あれは一体何なのだろうか。

帰るついでに夜学バーに行き小一時間くらいで出る予定だったが(レポートやらなきゃ!)、やはり面白くて長居してしまった。人を変えるのには時間がかかるからこそ、嫌うのも嫌われるのももったいないこと。その人の中にあるもので話し始めたら退屈である時もあるが、その隙間や奥に面白さがあるかもしれないこと。

15日(月)

ギリギリまでレポートを粘り、何とか提出。授業で成瀬巳喜男の『腰辨頑張れ』(1931)と『鶴八鶴次郎』(1938)を見る。芸道もの、もっと見てみたいし1950年代までの映画を自分が全く見ていないことを反省した。
そして『フランケンシュタイン』(1931)を。分からない…

16日(火)

バフマン・ゴバディ『酔っぱらった馬の時間』(2000)を見る。配信には無いがDVDを貸して頂いた。有難い。人生で初めてイラン映画を見た。イランのクルディスタンでのクルド人の子供たちの生活と、イラクへの越境の様子が描かれている。映画を見ている間に、ずっと画面に収められている自然に背筋が冷えた。それは怖い、というよりも敬虔さに近く、まるで登場人物たちの裏側から彼ら彼女らをジッと見つめているように思う。

そしてたまたまこの日の授業でイラン人監督であるアッバス・キアロスタミの『パンと裏通り』(1970)を見る。先生はこの映画を見た時に時間について意識させられる映画(意訳)と仰っていた。

以前のスクリューボール・コメディのレポート課題でエルンスト・ルビッチの名前を知り、他の作品にも興味を持ったので『生きるべきか死ぬべきか』(1942)を見る。いい映画だった。
駆け落ちのシーンを先生が説明する時に「手を引いて逃げるのは、私には良くわかるんですけど、こう非常に逃げにくいんですね」と仰っていたが、何故よく分かるのか分からなくて怖い。

17日(水)

授業→夜学。日報…
アッバス・キアロスタミ『トラベラー』を見る。先生が仰っていた「キアロスタミの時間」について、この映画ではまさしく「時間」が主題に置かれていた。

18日(木) 

『影なき男』(1934)を授業で見る。スクリューボール・ミステリー(?)。途中で登場人物が誰が誰だか分からなくなってしまい犯人が明かされる場面でもイマイチピンと来なかった。
バフマン・ゴバディ監督の『わが故郷の歌』(2002)を。イランからイラクへの越境。
『ヌーヴェルバーク』(2025)を見る。面白かったが、これはゴダールが死んだから作れた映画だという事を忘れてはいけないと思う。

19日(金)

キアロスタミの『そして人生はつづく』を見る。バフマン・ゴバディ監督を教えて頂いてから他のイラン映画も知りたくなっている。

20日(土)

『急に具合が悪くなる』(2026)公開記念舞台挨拶に行く。
本当に、素晴らしい映画だった。

ご縁があってどじょう会に行く。生きているどじょうを日本酒に先ず漬け、泥を出すのと骨を柔らかくするらしい。そしてそれを丸ごと少し甘めのおつゆにつけて頂いた。大きいどじょうは開いて食べる必要があるが、小さいものは全部そのまま食べられる。今回は小さいどじょうをたくさん豊洲市場で仕入れてきたらしく、バケツ半杯くらいの小さいどじょうがいた。自分の記憶にはどじょうを食べた事が無かったので初どじょう。駒形のどじょうより美味いという声を何回か聞いた。見た目がうなぎをミニチュアにしたようで、ちょっと不気味でありながら小さくて可愛い。何故かポリプテルスエンドリケリーという古代魚の事を連想しながらたくさん食べた。

21日(日)

『急に具合が悪くなる』の事が頭から離れない!
アッバス・キアロスタミ『友達のうちはどこ?』(1987)
アッバス・キアロスタミ『オリーブの林を抜けて』(1994)
溝口健二『雨月物語』(1953)
アラン・レネ『去年マリエンバートで』(1961)

22日(月)

授業→課題→授業。

23日(火)

授業。

24日(水)
『急に具合が悪くなる』について、「どうだった?」と別々の2人と話す。自分の感想を伝えると(めちゃ良かった的な)、なぜか2人とも「だよねぇ」とホッとした顔を浮かべていた。なぜ。

25日(木)
原作者の1人である磯野真穂さんや、濱口監督が愛読したという『中動態の世界』の國分功一郎さん、黒沢清監督との『急に具合が悪くなる』についての対談をそれぞれの雑誌で読む。

26日(金)

映画の勉強会が始まった。今自分が通っている理論コースの数人と、勉強会したいねえみたいな事を一ヶ月くらい前から話していて、ついに。
大学からプロジェクターや音響機材などは借りることが出来ないので(だからこれまでに勉強会が開かれてこなかったのかも)、自分で持ち込む。CHATGPTに中古サイトを監視してもらい、良い商品が見つかったら自分のメールアドレスに通知してもらうような設定にしたりして、EPSONのEH-TW5350を比較的安く手に入れた。
1回目はジャン=リュック・ゴダール『女は女である』(1961)を見直した。1人では見逃してしまったであろう発見が多く出てきて、集団でやる意味〜

27日(土) 28日(日)

台風で大学が無くなったのでたくさん映画を見る。

フランソワ・トリュフォー『大人は判ってくれない』(1959)
ショットに何故かエロティックさのようなものを感じる。これはどうして?

フランソワ・トリュフォー『ピアニストを撃て』(1960)
中盤が面白いとはっきり言える映画は少ないが(序盤とラストは言える)、この映画はハッキリと面白かった。雪景色の中、逆光で立っている女性の美しいショット。

ジャック・ドゥミ『シェルブールの雨傘』(1964)
ヒロインの母が着ていた真っ赤なジャケットの仕立てと生地が、映像越しでも最上級に良さそうだったので値段が気になってしまった。ブランドにもよるけれど、例えばべらぼうに高くないAURALEEで買ったとしても30万以上はする気がする。

瀬田なつき『ジオラマボーイ・パノラマガール』(2020)を見る。
本当に!いい作品だった。
濱口竜介『不気味なものの肌に触れる』(2013)や『寝ても覚めても』(2018)でもやられていらっしゃった佐々木靖之さんが撮影・照明をしている。
見る前に目に入ってきたレビューはこの作品に対して批判的なものが多く、映画のポスターなどを見てみてもシネコンでかかっていそうな恋愛映画だと思っていて、見るのを何となく敬遠していた。実際にイオンエンターテイメントが配給をしているから、主にシネコンでこの作品は公開されている。しかし瀬田なつき監督の作品ということで試しに見てみたら、最序盤のモノレールのショットでこの映画はきっと素晴らしいという予感がした。最後まで見るとその予感は確信に変わる。まず、主演の山田杏奈さんの演技が、どんどん演技が良くなってくる。そして終盤、晴れていたらきっとブルーアワーになったであろう場所の長回しのショットでの表情の曖昧さ!それがカメラを前に過不足なく収められている。
シネコンで公開されていて、あのポスターを見て恋愛映画だと思って見に来た人の大半はきっとこの作品に対して意味分からなかったと思うかも知れない。だからレビューが低くなっていたのか…
この映画はジオラマボーイとパノラマガールの行動と心情を誠実に記録している。しかし行動に理由は無く、心情にも一貫性がないからこそ、彼と彼女はどうしても曖昧な存在になってしまうのでは無いか、とか思う。

ホン・サンス『リスト』(2011)
会話の最中でカメラがズームしており、こんな事やっていいんだと驚く。

ホン・サンス『3人のアンヌ』(2012)
3人が段々と混同してくる不思議な体験だった。

アッバス・キアロスタミ『風が吹くまま』(1999)
詩を読むパートが素晴らしいが原語で聞けないことを後悔。

アッバス・キアロスタミ『黄桃の味』(1997)
映像が身体に染み込んでくる感覚があった。ラストシーンの飛躍。

アッバス・キアロスタミ『ホームワーク』(1989)
どんな時でも、相手の顔を見ずに自分の意見を長く話すおじさんにイライラしてしまう。

瀬田なつき『嘘つきみーくんと壊れたまーちゃん』
嘘と本当が曖昧になっていく。こんな大胆な演出が出来るのは技術があるから?
画面に平坦さを感じた。照明が少ないのと、色味をほとんど調整していないからかもしれないけど、それがノイズになる訳ではない。

瀬田なつき『PARKS パークス』
『ジオラマボーイ・パノラマガール』『嘘つきみーくんと壊れたまーちゃん』を見ながらうっすらとこれらの作品はミュージカルかもしれないという感覚があった。それは歌っている訳でも踊っている訳でもないが、出ている役者たちの身体性を所々で感じるからなのかものかもしれない。音楽で踊るかのような動きと、予測できないショットの連なり。繋がりが全然予想できなくて、天性の才能だと思う。ついに、『PARKS パークス』では音楽を主題にした映画だからこそでもあるだろうがミュージカルシーンが流れ、やはりミュージカルだったのだ!と嬉しくなった。

29日(月)

講評。
クニゲイ~大國大学藝術学部映画学科~という自分の通っている学科が舞台の漫画があるのだが、まさしくその第一課題「自己表現映像」だった。この漫画で描かれている講評会と大差は無く、かなりピリピリした空気感で嬉しかった。ちなみに自分の講評の時の空気は地獄だった。